(2)東福山西光寺
(1)見付宿について
(2)東福山西光寺
(3)西木戸跡と姫街道入口
4)一ノ谷中世墳墓群遺跡
(5)西坂の梅塚
(6)本立山玄妙寺
(7)大梅山慈恩寺
(8)見付学校
(9)磐田文庫
(10)淡海国玉神社
(11)旧見付宿脇本陣大三河屋門
(12)嶺松山省光寺
(13)日照山大見寺
(14)珠玉山宣光寺
(15)矢奈比売神社
(16)愛宕神社と阿多古山一里塚
(17)遠州鈴ヶ森
(18)松光山慶岩寺
(19)今浦山金剛寺
(20)瑞雲山見性寺
(21)旧赤松家
(22)風祭山福王寺
※磐田市の観光パンフレット

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  @東福山西光寺由来略縁起   「現地説明板」
   このお寺は東福山西光寺といい、阿弥陀如来をご本尊とする時宗の古刹であります。
 文永2年(1265)真言宗の傾木(けいぼく)和尚によって創建されましたが、建治・弘安年 間(1280年前後)この地を訪れた時宗の開祖証誠大師(しょうじょうだいし)一遍上人(12 39〜89)を迎えて改宗し、時宗の修業道場となりました。
  元和7年(1621)に焼失しましたが、慶安元年(1648)には、三代将軍徳川家光公(1 604〜51在職1611〜29)より御朱印32石8斗余りを与えられ、寛政3年(1791)には、 境内地9,160坪に及ぶと記録されています。
  また、見付宿の地に光堂山蓮光寺がありました。蓮光寺は安元2年(1176)遠江守平 重盛公(1138〜79=清盛の長男)により建立された名刹でしたが、明治44年(1911)西 光寺と合併し、薬師如来坐像をはじめ多くの仏像がこのお寺に移されました。なお、本堂内 にお祭りする日限蔵尊は、元和のはじめ(1615)に後水尾天皇(1579〜1632・第108 代天皇在職1605〜32)の皇后で、東福門院と呼ばれた源和子(まさこ=2代将軍徳川秀 忠の娘)より寄付されたもので、昔から霊験あらたかな尊像として信仰者が多く、11月14 日の大祭及び毎月14日の例祭には参拝の方々で賑わいます。
 また、西光寺は遠江四十九薬師第四十八番霊場となっており、病気平癒を願う人々で栄 えております。南無阿弥陀仏。合掌
    昭和61年8月吉日  東福山西光寺
 
 (注)東福門院

 A主な文化財
 ○西光寺の表門(薬医門)   「現地説明板」
薬医門
  加茂川を渡り、まず目をひくのがこの表門です。これは徳川家康が「別荘」として中泉村( 磐田市中泉)に築かせた中泉御殿(のち中泉代官所)の門を移築したものと伝えられていま す。
  薬医門(桃山時代【1580年代〜90年代】に始まった。もともとは城門の一種)といわ れ る総ケヤキ造りで、素朴な建築美を讃え、市内に残る代表的な江戸時代(1603〜186 7 )の門として、昭和57年(1982)11月、市の文化財に指定されました。
        昭和62年8月建之    東福山 西光寺
 ※薬医門
  本柱の後方に控柱2本を建て、切妻屋根をかけた門。大規模なものは正面を3間(本柱4 本)とし、控柱も4本とする。
 
 ○阿弥陀三尊 秘仏60年に一度開帳

 ○日限地蔵  秘仏13年に一度開帳 (1999年11月14日開帳)
          東福門院の念持仏。高さ9cm
 ※この2つの秘仏像は、秀忠の娘・和子が上洛の折、この寺に残したもの。元和7年(1621)見付の火災で、寺は全焼したがこれらの像は焼失を免れた。
 
 ○薬師如来
   安元2年(1176)平重盛(1139〜79)により建立された、見付西坂の光堂山連光寺 にあったが、明治44年(1911)西光寺に合併されたときに当寺に移された。平安時代の 作、頭部と胴体は約600年前に補修してある。

 ○石宝塔    「現地説明板」
 
石宝塔
  西光寺境内に建立されているこの石宝塔は、鎌倉時代(1192〜1333)の宝塔で、  元奈良国立博物館々長石田茂作博士の鑑定により、西光寺が創立された文永2年(126 5)頃の製作であろうといわれています。
  鎌倉より現代に700年の歴史を伝える石宝塔を拝し、たとえ時代が経ち物事は移り変わ ろうとも、これによって古い良い時代を知るならば、世の導きともなり、人々の道しるべとも なるのではないでしょうか。
             昭和62年8月建之     東福山西光寺

 ○西光寺の大楠  「現地説明板」
 寛政元年(1789)建立の鐘楼堂(山門)をくぐると、右側にクスノキの巨木が見えます 。樹高18m、根回り13,7m、胴回り7,5m、推定樹齢500年という老大樹です。
   今なお樹姿(じゅし)樹勢は極めて盛んで、保存状態もよく、隣り合っているナギの大樹 と一緒に、昭和57年(1982)11月、市の文化財(天然記念物)に指定されました。
  手をふれて見つめていると、訪れる人達に深い歴史を声もなく語りかけているようです。


 ○梛(なぎ)の木    「現地説明板」
   このナギの木は、マキ科の常緑高木(秋になっても落葉せず、一年中緑色をしている樹 木で、幹が堅く、直立して3m以上になる木)で、葉は楕円形で先が鋭く尖り(とが)厚く、  多数の埋もれた脈が縦に平行しているため横には切れにくゝなっています。そのためでしょ うか、喧嘩には昔、婦人がこの葉を鏡の裏に入れておき、男性と縁が切れないおまじない にしたとか、弁慶が力自慢にこの葉を千枚重ねて横に切ろうとして失敗 した……という話 も残っています。
       昭和62年8月建之   東福山西光寺
 

 ○イヌマキの木   「現地説明板」
   西光寺境内の一番奥まった所にある。背景の竹林が美しい。目通り周囲2,3m、樹高 18m、推定樹齢250年、雄株。平成3年(1991)磐田市指定文化財(天然記念物)マキ科 の常緑針葉高木。暖地に生える。高さ20mに達し、葉は扁平な線形で革質。





 ○見付本陣墓所  磐田市指定文化財(史跡)
  ★神谷家墓所  西光寺境内の最も奥の一画。丘をずり造る。
 古い墓標に寛永元年(1634)の銘

 ★鈴木家墓所 神谷家の南。同じように丘をけずり造る。
  古い墓標に慶安元年(1648)の銘。
 
 ○伝一遍上人六字名号(鎌倉時代) 磐田市指定文化財(昭和41)

  「南無阿弥陀仏」の6字。紙本の掛軸。鎌倉時代、時宗の開祖・一遍上人はこの念仏の 功徳を広めるため、康安6年(1282)当地方に布教のため訪れ地います。
  
 ○その他
  ★本堂…元和9年(1623)再建。元和7年(1621)焼失。四柱造り(寄棟造) 

  ★庫裡(寺の台所、転じて住職や華族の居間)。延亨年間(1744〜48)再建

  ★鐘楼門

  ★持蓮華(じれんげ) 鎌倉時代 磐田市指定文化財(昭和37)
   蓮のつぼみを示す精巧な木彫りで、念仏修行の時に使用する時宗の法具(仏具)
  ★新勅撰和歌集 鎌倉時代の写本  磐田市指定文化財(昭和54)
   「新勅撰和歌集」は鎌倉時代に、後堀河天皇(1112〜1241在位1221〜32)の
  命により藤原定家(1162〜1241)が編纂した歌集です。


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