(11)旧見付宿脇本陣大三河屋門 | |||||
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「旧見付宿脇本陣大三河屋門」 市指定文化財 平成17年11月21日指定 江戸時代、宿場には街道を往来する大名や公家が宿泊する施設として、本陣が決められていました。脇本陣は、本陣を補うための宿泊施設で、本陣に次ぐ規模・格式を持っていました。大三河屋は、はじめ旅籠屋でしたが、文化2年(1805)に脇本陣になりました。 この門は、2本の本柱に冠木(かぶき=門柱の上部を貫く横木)を渡し、その上に梁(はり=上部の重みを支えるため、あるいは柱を固定するために柱上に架する水平材)と切妻屋根を載せています。武家や商家の屋敷の門には棟門(むなもん=本柱2本で控柱がなく、切妻造り・平入りの門。寺院の塔頭・住宅などの門に多く用いられる)が使われますが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら薬医門(やくいもん)の形をした門です。 屋根は桟瓦(さんかわら=方形で中央が谷をなし波状の瓦・普通の瓦。江戸時代の発明)葺きの切妻造りで、大棟(おおむね=降棟・隅棟=屋頂の水平な棟)の両先端には小型の鯱を配置し、大棟両端から降棟が付けられ、その先端部には獅子を表した飾り瓦である留蓋(とめぶた)が置かれています。降棟によって、重厚で落ち着きのある印象を与え、由緒ある脇本陣の伝統をかもし出しています。 かつて見付から中泉の中津川家に移築され同家の門として使用されていましたが、平成17年、市に寄贈され、平成19年に移築復元しました。 平成19年3月 磐田市教育委員会 ◎「薬医門」の略図及び「見付宿絵図」省略
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