(15)矢奈比売神社 | |||||||||
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(1)祭神…矢奈比売命・菅原道真 (2)沿革…創建年代不詳。延喜式内社。 ◎「続日本紀」 承和年(840)の条 「六月戊辰授遠江国磐田郡無位矢奈比売神従五位下」 ◎「三代実録」 貞観2年(860)の条 「正月戌寅詔授遠江国従五位上矢奈比売神正五位上」 相殿の祭神・菅原道真は正暦4年(993)に筑前国大宰府天満宮よ り勧請。慶長8年(1603)徳川家康(1542〜1616)より神領50石の寄進。元禄時代に社殿改築。旧社格は県社(明治6年=1873) 西北の祖霊の山に対して、町の東北にあり神の籠もる山として古くから信仰されてきた。
(3)見付天神裸祭り @起源 元禄3年(1690)の拝殿・幣殿再栄営奉諜によれば、正暦4年(993)8月11日、大宰府天満宮より菅原道真(845〜903)を勧請したが、勧請した11日を祭祀の日と定めたという。例祭の裸祭りは、正和年間(1312〜17)より始めたといわれる。 A祭りの様子 大祭は、旧暦8月10日〜11日に実施されてきたが、最近は旧暦の8月10日直前の土・日に行われている。 見付天神の神が、遠江の惣社淡海国玉神社へ神輿に移され渡御する際に行われる祭りである。渡御に先立ち、裸の男衆が町中を練り歩き、相殿で鬼踊りを披露する。 裸祭りには、各地の総社に伝わった共通の要素が残っており、古代にその系譜をたどることができる。 (4)霊犬悉平太郎(しっぺいたろう)伝説 旧暦8月10日近くになると、見付の里では娘のある家の棟に「白羽の矢」が立つようになった。その家は人身御供として娘を差し出すことになっており、拒めば里中に災いがかるといわれ、家族は仕方なく娘を差し出していた。 ある年のこと、旅の途中で見付の里に立ち寄った六部(ろくぶ)が、この話を聞き「神が人身御供を出せというのはおかしい」と人身御供の日に山に登り、ひそかに物陰から窺っていたが、やがて丑三つ時(今の午前2時から2時半)になると、怪物が現れ娘の入った柩お(ひつぎ)の周りを小躍りしながら「信州信濃の悉平太郎に知らせるな」と叫んだ。これを聞いた六部は、信州の悉平太郎を訪ね旅たったが、それは人でなく犬であった。犬は長野県赤穂村(駒ヶ根市)にある光前寺の飼い犬であった。そこで翌年の祭りの日に身代わりとなった悉平太郎は、怪物と死闘の末遂に怪物を斃したが、犬も深手を負い見付で息絶えた。怪物の正体は狒々(ひひ)であったという。 しかし、光前寺の伝承では、早太郎と呼ぶ犬であったが、寺へたどりついて死んだと伝えられている。 当時の社僧・一乗坊弁存は、謝意のため6年かけて「大般若経」600巻を写経して光前寺に納めたという。光善寺に現存する写経600巻がそれである。 「光前寺縁起」によれば、怪物を退治したのは延享元年(1308)、「大般若経」の施入(せにゅう=寺院などに財物を喜捨すること)が正和5年(1316)とある。 この物語が縁で、磐田市と駒ヶ根市は友好都市の協約を結んでいる。 ※社僧 神社で仏事を修めた僧侶。多く神宮寺に住む。その地位は神職の上で、中には武器を蓄えていたものもおり、別当・座主(ざす)・院生・検校(けんぎょう)など種々の階級があった。奈良時代後期に始まり、1869(明治2年)に廃絶。宮僧・神僧とも。
(5)霊犬神社 「現地説明板」 当神社には、人身御供の伝説が残されております。正和年中(約660余年前)現在の駒ヶ根市光前寺より、悉平太郎という名犬を借り受けて怪物を退治し、人身御供という悲しいならわしを断ち切り、平和な見付の町にもどしたというものです。その謝恩のために当社社僧が奉納した大般若経は、現在寺宝として光前寺に保存され、磐田市と駒ヶ根市友好都市のきずなになっております。 霊犬神社は、犬を祀った日本唯一の神社として、近年はペット愛好家に深く崇敬されております。 例祭日 4月15日 (参考)犬を祀る神社 @伊奴神社 名古屋市西区稲生町2−12 A多茂木神社 秋田県大館市 青森県との県境に近い長走(ながばしり) B老犬神社 秋田県大館市 葛原の山腹 以上「ホームページ」より C犬頭神社 岡崎市上和田 D犬尾神社 岡崎市下和田 以上「日本の神様 読み解き事典」P252 (参考)早太郎伝説 「ホームページ」・「現地説明板」参照 @早太郎について 「疾太郎」とも書き表される。別に「シッペイタロウ」と呼ばれ、悉平太郎・疾病太郎などと書かれる。また疾風太郎・兵坊太郎とも呼ばれる。名前の由来は不明だが、疾風(しっぷう・はやて)のいみであろう。走るのが速かったため早太郎と名付けたとのはなしもあるが、これはおそらく理由の後付けであろうと考えられる。 この犬は山犬(また狼)の子で大犬。白狗(しろいぬ)であったとも伝えられる。 早太郎の死に様や狒々の言葉にも種々な形がある。狒々については群れで現れて「信州信濃の光前寺、早太郎はおるまいな」と安全を確認する形や、狒々が暗闇に沈む神社境内で娘を喰らう前に「早太郎には報せるなスッテンテン」と人々をあざ笑うかのように歌い踊る形をとる所もある。 現在、狒々の化け物がいたとされる磐田市見付(矢奈比売神社)と、光前寺のある駒ヶ根市付近に伝承が多い。 そこでは、基本的に、古い神の行為を仏教派が調伏(ちょうぶく)するという仏教説話的な形になっている。また、人々が当たり前のように、人身御供を神に捧げていた父子もあるため、土着信仰を仏教に改宗させた歴史事実が、古くからあった義犬の伝承を吸収したのかもしれない。 A悉平太郎伝説 矢奈比売神社(磐田市見付) 当神社には、人身御供の伝説が残されております。正和年中(1312〜17)現在の駒ヶ根市光前寺より悉平太郎という名犬を借り受けて、怪物を退治し人身御供という悲しい習わしを断ち切り、平和な見付の町にもどした。 その謝恩のために当社社(しゃ)僧(そう)が奉納した大般若経は現在寺宝として光前寺に保存され、磐田市と駒ヶ根市の友好都市のきずなとなっております。つつじ公園内の霊犬神社は、犬を祀った日本唯一の神社として、近年はペット愛好家の方々に崇敬されています。 B霊犬早太郎の伝説 駒ヶ根市光善寺 昔、むかし、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていました。その頃、遠州(静岡県)見付村では、田畑が荒らされないようにと毎年祭りの日に、白羽の矢の立てられた家の娘を、いけにえとして神様にささげる人身御供という悲しい習わしがありました。 ある年、村を通りかかった旅の僧は、神様がそんな悪いことをするはずがない、その正体を見届けようと、祭りの夜に様子をうかがっていると、大きな怪物が現れ、「信州の早太郎おるまいな。早太郎には知られるな」などと佳いながら、娘をさらっていってしまいました。 坊様は早太郎に助けを求めようとすぐ信州へ向かい、光前寺の早太郎を探し出すと、借りて急いで見付村に帰りました。 次の祭りの日には、早太郎が娘の身代わりとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老狒々(ひひ))を退治しました。 早太郎は傷つきながらも光明寺までたどり着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように、一声高く吠えて息をひとってしまいました。現在光前寺の本堂の横に早太郎のお墓がまつられています。 また早太郎を借り受けた旅の坊様は早太郎の供養にと「大般若経」を写経し、光前寺に奉納いたしました。この経本は現在でも光前寺の寺宝として大切に残されています。 (注)般若経(大般若経) |
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