(5)熊野の長藤

(1)ざざんざの松

(2)雲立のクス
(3)鎧掛松
(4)北浜の大カヤの木
(5)熊野の長藤
(6)善導寺の大樟
(7)クロガネモチ
(8)太子淵の松
(9)次郎柿の原木
(10)トウトの松
(11)天宮神社のナギ
(12)根上がりの松
熊野の長藤
 @熊野の長フジ
   国指定天然記念物  一本
   県指定天然記念物  五本
 国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1,8mもある。  本堂前の境内地にある5本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに樹齢は定かでないが老木であるこ 花房が1m以上にも伸びて、紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたという伝承がある。熊野御前については謡曲「熊野」や「平家物語」にも登場する、親孝行で有名な美女である。
        平成十八年三月   磐田市教育委員会

A謡曲「熊野」と行興寺    「現地説明板」
 遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
 熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
 花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い
   いかにせん
      都の春も惜しけれど
          馴れし東の花や散るらん と
和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。
                  謡曲史跡保存会
行興寺前景 藤棚と本堂

B摂取山行興寺(時宗)  磐田市豊田町池田
一遍上人の法嗣真教が正応3年(1290)開創の古刹。熊野御前の墓のあることで知られる。藤の花の咲く5月には花見客で賑わう。熊野御前(ゆやごぜん)の墓碑は、本堂の西側にあり高さ1,2mほどの宝篋印塔である。
平安時代の昔、池田庄の庄司(しょうじ=荘園領主の命を受けその荘園を管理した職)藤原重徳の娘として生まれたが、15歳の時平宗盛(1147〜85)に召しだされ、寵愛を受ける所となったが、数年後、熊野は母の病を知り、帰郷を嘆願したが許されなかった。
その年の春、東山観桜の席で「いかにせん 都の春も惜しけれどなれし東の花や散るらむ」と詠んだ歌が、宗盛の心を動かし、ようやく池田に返された。母は熊野の看病により全快したものの、間もなく父が死に数年後には母親もこの世を去った。
わずかな間に両親をなくし、悲嘆にくれた熊野は、自宅に「十一面観音像」を安置し、念仏三昧の生活をすごすうち、建久9年(1198)5月3日、33歳の若さで生涯を閉じたという。
                  
C「記」 「現地説明板」
 一、当寺は今より八百年の昔、延久元年(1069)の創建にて、謡曲で有名な、熊野御前の旧跡であります。
 一、当寺には、熊野御前の守本尊厄除十一面観世音(恵心僧都御作)熊野御前とその母、次女朝顔の墳墓がそのまま昔を物語っております。
    一、毎年四月二十九日より五月五日まで熊野御前の例祭を執
り行います。
一、境内にはその昔、熊野御前が堂側に植えて愛育された藤であると、称される紫房五尺以上に垂るる五百坪に余る藤があり、昭和七年(1932)文化庁より「熊野の長藤」として天然記念物に指定されました。身頃は、年により相違がありますが、平年四月下旬から五月上旬であります。
 一、謡曲「熊野」奉納の方には、寺則により謡曲奉納の証印を押印いたします。
熊野母子の墓