(1)ざざんざの松 | |||||||||
(1)ざざんざの松 (2)雲立のクス (3)鎧掛松 (4)北浜の大カヤの木 (5)熊野の長藤 (6)善導寺の大樟 (7)クロガネモチ (8)太子淵の松 (9)次郎柿の原木 (10)トウトの松 (11)天宮神社のナギ (12)根上がりの松 |
「颯々の松」 「颯々の松」は一本の松でなく、野口村の森をいい、30本もの松が群生していた模様である。足利義教(よしのり=1394〜1441)がこの松のもとで、「浜松の音はざざんざ」と謡ったといわれ、以来この松を「颯々之松」というようになった。 (「曳馬捨遺」) また天慶元年(938)八幡宮が小沢渡より曳馬野に遷座したとき、白狐が現れ松の苗を二本持ち、一本は小沢渡の宮跡に植えた。これが「音羽の松」で、他の一本は八幡宮の宮辺に植えた。これが「颯々之松」といった。 (「八幡宮由来記」) 「浜松の史跡」P110〜11
昭和34年1月5日 第103号 「広報はままつ」 P.210 ○狩野元信(1476〜1559)と「ざざんざの松」 昔、野口村に「ざざんざの松」という、枝振りの面白い松があった。この 松が、ある年大風のために倒れたが、その幹は空に向かって弓なりに半円を描いて、その東凡そ百五十mある、八幡神社の近くまで届き、そこからもまた根が生えたといわれる。 永享4年(1433)、時の将軍足利義教が富士遊覧の道すがら、この松の下で酒盛りをしたとき、「浜松の音はざざんざ」と謡ったので、それから「ざざんざの松」と呼ぶようになったという。 また、狩野元信という画家が、ある年浜松の宿に泊まった。その時、元信は有名な「ざざんざの松」を描こうと、「ざざんざの松」の傍らに 来て、下書きだけして伝馬町の宿に帰った。そしていよいよ墨で書き上げようとすると、どうしても枝振りが気に入らないので、また元の松の所へ来た。さてそこで、前の下書きを開いて見ると、なんとそれは自分の書いたものとは似てもに似つかぬもであった。 今度こそはと念入りに書いて宿に帰ったが、何度書いても思うように書けません。その上「ざざんざの松」は女の人が着物を着替えるように毎日枝振りを変えてすましています。これではさすがの元信も筆を取ることが出来ず、ついに書くことを諦めたという。 |
||||||||