3 坪井町〜馬郡町
東海道・浜松宿〜舞坂宿

 1 菅原町〜若林町
 @子育地蔵
 A鎧橋
 B若林一里塚
 C二つ御堂
 D八幡神社
 E諏訪神社

 2 増楽町〜篠原町
 @熊野神社
 A増楽の「ぼう示杭」
 B堀江領界石
 C立場本陣跡
 D神明宮
 E篠原の一里塚
 
 3 坪井町〜馬郡町
 @稲荷神社
 A富士山東光寺
 B史蹟 稲佐山大悲院観音菩   薩聖跡(馬郡観音堂跡)
 C東本徳寺
 D西本徳寺
 E春日神社

 4舞坂宿
 @舞坂宿概要
 A舞坂の松並木
 B史跡 見付石垣
 C一里塚
 D各町の常夜燈
 E宝珠院
 F岐佐神社
 G指月院と観音堂
 H本陣と脇本陣
 I雁木跡
 J那須田又七顕彰碑

 ※参考にした本等
 
  @稲荷神社由緒案内   「現地説明板」









 現住所 浜松市坪井町3456番地
           旧地名 遠江國敷智郡坪井村
 一、祭神
   稲荷大神 宇加之御魂之大神 佐田彦大神 大宮売大神
 一、由緒の概要
  ◎永享十二年(1440)伏見稲荷より勧請したと言われる。
  ◎天正十六年(1588)九月十八日拝殿再建の棟札が現存すると言い伝えら   れている。
  現在の拝殿は大正十一年(1922)に建てられた。境内の森の木が建築材と  して利用された。村内の大工数名が建築に携わった。境内入口の門柱にそ   の人達の名前が刻まれている。
  ◎慶安元年(1648)時の幕府から朱印五石が禄(与えられる)された。
  ◎境内に入ると立灯籠が左右に見える。文化年間と刻字されている。
  ◎両部鳥居と稲荷鳥居が続いている。
   両部鳥居は朱色に塗られ、四本の稚児柱と呼ばれる控柱でさせられている  。稲荷鳥居は石造りで文化十三年丙子年(1816)十一月吉日
   遠州屋伝兵衛奉献 江戸小舟町伝次郎と刻まれている。
  ◎稲荷の名のごとく、元来農耕神であるが、中世以降から漁業神また産業神、商売神として崇められ、近郷からの参詣者も訪れるようになった。
                   平成十三年三月吉日

  A冨士山 東光寺 「現地説明板」
 
 







◆沿革
 一、由緒
  上古は冨士見庵に安置せし薬師如来、村人度々霊夢を感じ、深く信仰すると  ころなり。
  雨漏り破壁等補修を施し、久しく御守りせし後、庵を改め冨士山東光寺とす。
 一、本尊
   東方薬師瑠璃光如来 三願一得の御利益ありと聞く。
 一、開山
   慶長六年(1601)勢巌元育禅師勧請開山
 一、開創
   賢哉元玉禅師創建
 一、法系
   臨済宗妙心寺派 安寧寺大梁紹扶禅師の法を嗣承す。

 ◆南海霊亀碑  「現地説明板」
 文化七年(1810)初秋の夜中、海上は風雨激しく雷まで鳴って遠州灘は非常に荒れた。夜が明け嵐の過ぎ去った海辺には息の絶えた亀が打ち上げられ、それを見た村人たちは深く哀れみ酒をあげるなどして手厚く葬った。







 B史蹟 引佐山大悲院観音菩薩聖跡
    「引佐山大悲院本尊観世音由来」 
 「現地説明板」
  この地に永く安置されていた観世音菩薩は、引佐細江の観世音と言い、高さ一尺五寸(約38cm)の立像で、定朝の真作であると伝えられる。
  第六十八代・後一条天皇の治安元年(1021)定朝上人諸国巡行の途中、山住神社(北遠。水窪町)に山籠もりされた時、神託を感じ、引佐細江の里に行き老杉の元で、一心不乱に大悲十句の秘文を唱え祈り続けられた。七日七夜の三更(午前零時前後)老杉の頂が光輝き、忽然として聖観世音菩薩が応現された。その慈悲に感激し、ありがたさの万分の一をも残そうと老杉を伐り、聖観世音菩薩の尊像を一刀三礼して彫りあげ、国家安民五穀豊穣のため引佐細江の地に堂宇を建てて、安置し奉った。

 (注)15,馬郡観音堂

 C東本徳寺   浜松市馬郡町1383









  「宿村大概帳」に「東西本徳寺弐ヶ寺有之」とあるうちの一ヶ寺。日蓮宗。本徳寺時代の「泉光坊」が改称されて東本徳寺となった。

 D西本徳寺  浜松市馬郡町1、557









  永徳元年開創の日蓮宗寺院。「東海道巡覧記」に「東本徳寺、西本徳寺とてあり。法花宗(法華宗)也。大泉坊といふ。本徳寺時代の「大泉坊」が西本徳寺と改称した。              

 ※お釈迦様と日本左衛門…西本徳寺に安置
  その昔、二川の観音像の金の眼を盗み、一儲けした日本左衛門は、次のめぼしい物を探していたが、西本徳寺に偲び込み、釈迦像を盗み出し浜松方面めざして一目散に逃げ出し、もうこのあたりでよかろうと、辺りを見渡してびっくり、相変わらず寺の門前であったという。
 
 E春日神社   「現地説明板」
 








 鎮座地  浜松市馬郡町1882−2
  祭神   武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神
  例祭日  十月中旬
  由緒
  往昔永徳年間(1381)秋甲州行脚の沙門律師日朝当地へ廻国の折、神仏深理と悟し民族挙って一社を建立を願うに依りて、後小松天皇の御年応永二甲戌年(1395)八月十五日春日大明神の神札を奉祀勧請す後、天正十二年(1584)以来数度の改築あり。慶安元年(1648)十月二十四日、徳川三代将軍(家光)より、朱印六石下賜あり代々拝領す。明治六年(1873)三月村社に列す。同七年末社を合祀す。
 昭和八年(1933)七月十八日本殿・拝殿・幣殿改築遷宮以後現在にいたる。
末社 若宮神社 八幡社 山宮神社 天王社(例祭日 七月十四日)