3 各寺院案内 〜(1)極楽寺から福王寺〜 |
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遠州七福神めぐり 1 七福神の由来 2 七福神の概略 3 各寺院案内 (1)極楽寺から福王寺 @実谷山 極楽寺 A八幡山 法雲寺 B風祭山 福王寺 (2)松秀寺から永江院 C龍冨山 松秀寺 D法王山 官長寺 E海岸山 増船寺 F和光山 永江院 ※参考にした本等 |
(T)極楽寺から福王寺 @実谷山極楽寺(あじさい寺)…寿老尊霊場 周智郡森町一宮5709 電話0538−89−7407 ◎宗派;曹洞宗 ◎ご本尊;阿弥陀如来(僧行基作) ◎秘仏:子育延命地蔵尊(聖徳太子自作)13年に一度申年に開帳(平成17年に実施) ※遠州三十三観音霊場(聖観世音菩薩)第三十三番札所 ※遠江十二支阿弥陀如来霊場(亥・戌) ◎沿革 創建は、養老年中(717)といわれ、草創当時は天台宗の寺院として隆盛を極めた時期もあった。後年、二俣城主近江守昌長の庇護のもとに、堂宇を改築し、菩提寺の自得庵の寄進を受けたが、後次第に衰退した模様である。しかし、極楽寺の衰退を惜しんだ可睡斎二十一世貴外嶺育大和尚が寛永6年(1629)曹洞宗に改宗し、寺院勢力の回復に努めた。以後、文化・文政(1804〜30)の頃に寺内を整備統合し、昭和に入ってから、現在地より北へ500mほどの山の中腹にあった極楽寺を現在地の正福寺跡に本堂等を移築移転して今日に至っている。 本堂 ◎見どころ ◆阿弥陀如来(行基作)…本尊 遠江十二支霊場 (戌・亥の守り本尊) ◆聖観世音菩薩 遠州三十三観音霊場 第三十三番札所(満願堂) ◆子育延命地蔵尊(聖徳太子自作) 秘仏 13年に1度、申年に開帳 ◆左甚五郎作「唐獅子」 ◆石ずりの戸 徳川信康自害のおり「二俣城松の間」にあったもの。 後年城主が、当寺に帰依されたことにより残されている。 ◆あじさい園 1万3000株 見頃6月中旬〜7月上旬(あじさい祭り) A八幡山 法雲寺…大黒尊天霊場 磐田市向笠西374 電話0538−38−0432 ◎宗派:曹洞宗 ◎ご本尊;聖観世音菩薩 ※遠州三十三観音霊場 第二十九番札所 ◎沿革 寛永11年(1634)本寺新豊院4世観天是音大和尚が、草庵を 建て聖観世音菩薩を安置し、八幡山法雲庵と称したのに始まる。以来法灯連綿として今日に及んでいる。 明治35年(1902)鉄山大和尚は、布教伝導を願い法地開山され法雲寺と改称した。昭和19年東南海地震により本堂をはじめ堂宇の倒壊をみたが、昭和30年(1955)掛川在桜木村の飛鳥円蔵寺の伽藍を移築し現在に至っている。 ★この付近は、弥生中期〜古墳時代前期の古墳が並び、國の史跡に指定されている。また、向笠城の一部で砦の築かれていた所と伝えられる。
◎見どころ ◆豊栄稲荷大明神(豊川 茶枳尼尊天分身) 旗本秋元氏の屋敷に祀られていた稲荷堂で、「軍神稲荷」と称していたが、秋元氏が江戸に移ったため、法雲寺に寄進した。中興の鉄山和尚の時、改めて豊川稲荷より茶枳尼尊天の分霊を勧請し豊栄稲荷として祀られているもので、商売繁盛の御利益がある。 ◆頂相彫刻…本堂に安置 開闢開山恭順和尚(右) 第二世象山和尚(左) ★頂相(ちんそう・ちんぞう) 禅宗の僧侶の間で、師が弟子に与える肖像画。禅宗では弟子が一人前になると、その師は伝法のしるしに肖像画に自賛を書いて弟子に与えた。この習慣は中国の北宋時代(960〜1127)に盛んで、日本には鎌倉時代に伝えられて以来、室町・江戸時代にも行われ、その写実的な描写法は肖像画の発展に大きく影響した。大徳寺「大灯国師像」妙智院「夢窓国師像」建長寺「蘭渓道隆像」などが有名である。・ 「日本史事典」より ◆欄間十六羅漢…元禄年間 ◆石仏群像…子育観音・延命地蔵尊 享保12年(1727)の銘 ◆あじさい園 見頃 6月中旬〜7月中旬 ※向笠城主向笠伯耆守の墓 古墳群の東側山裾にある新豊院には、五輪塔があり、「向笠伯耆守高天神城にて戦死、天正七年二月十六日逝」と刻まれている。 向笠氏は代々今川氏に仕えていたが、今川義元(1519〜60)が「桶狭間の戦い」(1560)に敗れた以後は、武田氏に仕えた。天正元年(1573)3月徳川軍の猛攻の前に向笠城は落ち、高天神城に後退して武田軍と共に戦ったが、再起空しく戦死したと伝えられる。 B風祭山福王寺…福禄寿尊霊場 磐田市城之崎4−2722−1 電話0538−32−7272 ◎宗 派:曹洞宗 ◎ご本尊:聖観世音菩薩 ◎祭 祀:薬師如来 ※遠州三十三観音霊場 第十八番札所 ◎沿革 平安時代の永観2年(984)諸国行脚の途中、今之浦にさしかっ た陰陽師安倍晴明(?〜1005)は、大暴風雨で難儀している村人のため、福王寺の境内の丘に登り、念力で暴風雨を鎮めたという。村人は安倍晴明の法力を称え堂宇を建てて祀り、毎年「風祭り」を行うようになった。山号の「風祭山」の名の由来はこゝにある。福王寺は始め、真言寺院として建てられ、本尊の観音像は密教的色彩を強く残している。文安元年(1444)寒厳義尹禅師の法孫、天翁義一大和尚(普済寺の実質開山、華蔵義曇禅師の法弟)が、この寺を風祭山福王寺として曹洞宗に改宗、再興した。戦国時代には、今川勢の籠城する所となり、梵鐘は兵器と化したが、元禄16年(1703)智船和尚の時、再鋳され、本堂は寛保2年(1742)に再建された。山門は 慶応4年(1868)に建立(現存遠州最古)すい、今日に至っている。
◆安倍晴明卿御祈祷之旧跡…境内西の小高い丘の上 ◆清明殿…安倍晴明大権現を祀る 毎年3月第二日曜日 五穀豊穣・家内安全を祈祷 ※江戸時代境内西側にあった祠を現在地に移転した。・ ◆今川範国の墓(1295〜1384) 今川家初代、遠江・駿河國の守護大名 至徳元年(1384)死去。87才。 ◆薬師堂…沼薬師如来 江戸時代中期、見付東坂西鎌田屋加藤幸八家の裏の池沼より堀りだされた。眼病に霊験あらたかと伝えられる。堂内には5円硬貨で「め」の字に形どった絵馬が奉納されている。 ◆山門…慶応4年(1868)建立。楼上に梵鐘。 ◆江月堂(資料館) 安政5年(1858)21世仙嶺和尚時代、寺子屋江月堂で地域の子弟の教育にあたった。この伝統を21世紀の生涯教育の場として、1996年26世仙巌和尚が再興し、現在の建物を建立した。1階に寺宝展示、2階は図書文庫。 ◆万両園(庭園) ◆ダッタン王(モンゴル王)御服御袈裟 王子の着ていた服を袈裟に仕立てたもの。 (注)1,安倍晴明 (注)2,今川範国 |
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