(注)佐々木高綱(?〜1214)
鎌倉時代初期の武将。秀義の4子、母は源爲義の娘。四郎と称した。治承4年(1180)の源頼朝の挙兵に加わり、寿永3年(1184)1月、源範頼・義経と共に木曽義仲討伐の宇治川の戦いに従軍した。このとき頼朝から拝領した名馬「いけずき」に乗った高綱と「するすみ」にまたがった梶原景季と智謀を尽くして宇治川の流れを越え、高綱が先陣に成功した。文治元年(1185)左衛門尉となり、翌年長門守護に任じられた。のち発心して高野山に入った。号は了智、西入などと伝えられる。