(注)山岡鉄舟(1836〜88) 江戸時代末期の幕臣。通称鉄太郎。刀槍に長じ、無刀流を編み出して春風館道場を設立。講武所剣術世話役、浪士取締役をつとめた。慶応4年(1868)3月江戸開城に際しては、勝安房(海舟=1823〜99)の使者として駿府の大総督におもむき、東征軍参謀西郷隆盛(1827=77)と会見、徳川存続に尽力した。 明治2年(1869)静岡県権大参事として、旧幕臣の処遇斡旋に努め、次いで茨城県参事、伊万里県知事を歴任。のち明治天皇の侍従、宮内少輔。1886年子爵、勲二等に叙せられた。禅機に達した人生観は剣の名声と相まって、剛毅武人型の模範として後世に名高い。 ●禅機(ぜんき) 禅者の自由なはたらき。 ●無刀流(むとうりゅう) 剣道の一派。山岡鉄舟が中西派一刀流・禅学などを学び、1880年(明治13年)創始。一刀正伝無刀流。 |