(注)◎黒地蔵和讃 帰命頂礼黒地蔵 由来を詳しく尋ぬれば 浜松御城を司る 太田備中守殿が 正保年間霜月の 二十四日の其の時に 稲作見みの役人が 中郡の市野村 市野の勘右といふ人を 供に引(き)連れ見分(け)し 野口村へと巡り来て 野口村なる野の字名 黒地蔵といふとこへ 追々見みが廻りなば 稲田の下にてもの声 何を言ふかとよくきけば 勘右々々と言ふて喚(よ)ぶ 其(の)声きいてはてふしぎ 神か仏か何者ぞ 吾(が)名を喚びしはふしぎなり 何のゆゑんか知らねども 稲田の下を堀り見れば 地蔵菩薩が出でにけり すぐ勘右衛門は我が宅へ 地蔵菩薩をお供して 御供献じ経を上げ 洩れなくつとめて居るなれど、或夜の告(げ)に勘右衛門 地蔵菩薩のお告(げ)には 我が身は在家に居り難し 野口村なる万福寺 連れ行(き)給へ勘右衛門 願(ひ)の筋は何なりと 叶へてやるとのお告(げ)にて 万福寺へと納めおき 万福寺なる住職の 喜ぶことは如何ばかり すぐに御堂を新築し 二十四日を縁日に 諸人のために経を上げ 地蔵菩薩を信ずれば 如何なる悪運も免るる 如何なる諸病も平癒する 信心深き人々に 地蔵ぼさつがつきそふて 悪しき道へは導かず 善き道々へと導きて 地蔵ぼさつの御誓願 南無黒地蔵大ぼさつ 御詠歌 野に出でてたなびく野口の御花咲く 道のちまたに道しるべかや 「土のいろ」集成 第一巻 P161〜3 (注)和讃 梵賛・漢賛に対する語で、国語を用い、仏・菩薩・高僧の徳を讃えた歌。平安時代から江戸時代にかけて行われ、一般に七五調の4句を一連とし、その唱誦は、経典の読誦に準じる効験が信じられ広く行われた。源信の「極楽六時讃」親鸞の「三帖和讃」などが有名である。 ◆梵賛 声明(しょうみょう)の中の讃のうち、歌詞がサンスクリット語であるものの総称。仏教などを讃えた韻文。 ◇声明 仏教儀式・法要で僧の唱える声楽(人の声による音楽)の総称。 ◆漢讃 梵語の仏教賛歌の韻文を漢文に翻訳したもの。又中国・朝鮮・日本で漢文で作った仏教賛歌。 |