(注)藤原為家 鎌倉時代前期〜中期の歌人。定家の子。権大納言正二位。59歳で出家し、法名融覚。若い時は詠歌を怠り、蹴鞠に熱中して父を嘆かせたが、承久の乱で順徳上皇と別れたのち、「為家卿千首」(1223)を詠むなど作歌に精進し、父の死後はその後継者となり、後嵯峨上皇の院宣を奉じて「続後撰和歌集」を単独で撰進。「続古今和歌集」を他の4人とともに撰進したが、真観らの専横を憤って、実際の作業は嫡男の為氏に一任したという。晩年は側室安嘉門院四条(阿仏尼)とその子為相らを愛し、死後子孫が3家に分立する原因をつくった。歌風は平淡で温雅。歌論では稽古の重要さ、制詞などを説いた。家集「為家集」歌論書「詠歌一体(いってい)」。 (注)3家 二条・京極・冷泉家。為相を祖とする冷泉家はその曾孫の時、上冷泉家と下冷泉家に分かれた。 |