(注)阿仏尼(?〜1283) 鎌倉時代中期〜後期の女流歌人・文学者。60歳前後で没した。墓は鎌倉にある。安嘉門院に仕え、越前・四条などといった。建長5年(153)藤原為家の室となり、為相(冷泉為相)・為守を生んだ。康元元年(1256)為家出家の後、尼となり阿仏尼・北林尼などと称した。夫の死後播磨國細川の荘園の相続争い訴訟のため、弘安2年(1279)鎌倉に下った。「十六夜日記」はこの時の紀行日記。和歌は「続古今和歌集」以下の勅撰集に入集。ほかに紀行「うたたねの記」教訓書「庭の教」(「めのとの文」)、亡夫追善の「四条局仮名風誦(ふじゅ)」などがある。 |