(注)在郷商人 江戸時代、農村に生まれ農民身分のまま商業活動を手広く営むようになった商人層をいう。この時代には商工業者は都市に集中し、農民と商工業者とは身分的にも分けられ、都市の問屋、株仲間が農民市場を独占していた。しかし、農村における商品生産の発展とりわけその地域的、社会的分業の深化によって、18世紀末頃から問屋、株仲間の独占を排して、在郷商人と結びつき、消費者との直接取引を行う傾向を強めた。領主側は初めは問屋の特権を擁護する立場を取ったが、ついに幕府の株仲間解散令(1841)が出ると在郷商人の力は強まった。信州諏訪の製糸業のように、在郷商人がマニュフアクチュアに成長する道も開けたが、一般には幕府の株仲間の再興(1851)が在郷商人をも含めて行われたように特権商人 にとどまり、時に寄生地虫(寄生地主制)となるものもあった。 (注)問屋 「といや」ともいう。江戸時代の卸売業者。鎌倉・室町時代には「問」「問丸(といまる)」といわれた。江戸時代、運送や宿泊については問屋の営 業内容はもっぱら賞品の取り扱いだけとなった。 問屋の種類もいろいろあり、荷主の委託を受け、一定の口銭を取って貨物 を仲買人に売りさばく「荷受問屋」特定の商品を取り扱う「専業問屋」などがあった。さらに「仕切問屋」と称する専業問屋もあって、荷主から商品を買い取り損益は自己負担で、仲買に売り渡すものであった。これらは多く、「株仲間」を組織して共通の利害のもとに団結した。 大阪の二十四組問屋、江戸の十組問屋(とくみどんや)などが有名である。天保の改革後廃止され、のちに復活したが、明治になって卸売商人一般の呼称となった。なお、江戸時代に問屋場の業務を司った宿場役人も問屋(又は問屋役)と呼ばれた。 (注)株仲間 江戸時代、幕府・諸藩が許可した商工業者の同業組合。株とは営業権の意。 冥加(みょうが)金(きん)を上納して、同業者の数を制限し、市場独占・競争防止・価額協定などの特権を得て、利益擁護をはかった。仲間内で規約を定め、行事・年寄・取締らの役員を選出し、会所で寄合を開き統制した。商工業者の私的な仲間は江戸初期から存在したが幕府は公認せず、享保改革で初めて商業統制を目的として認めたのをはじめ、田沼時代には財政政策上多数を認めた。1841年天保の改革で解散を命じられたが、1851年再興された。明治維新以後の1872年廃止。大阪の二十四組み問屋、江戸の十組問屋などが有名である。 (注)冥加金 江戸時代、幕府・諸藩から特に営業を許可された商工業者などの上納金。各種の商工業・漁業や株仲間から保護や特権に対するお礼として、幕府・諸藩に治めた献金であるが、後に定率で年々賦課され、一種の租税と化した。 (注)大福帳 商家で売買の記帳をした元帳。福運の到来を願って表紙に「大福帳」と記した。台帳・項目を分けずに取引の順に「棒づけ」にした記帳を大福帳式という。 |