★「於呂神社」  (現地説明板)
   ◎鎮座地  浜北市道本210番地
   ◎御祭神  大国主命・須佐之男命(素戔嗚尊)
         磯部大神・大山祇(おおやまずみの)命(みこと)
   ◎例祭日  九月十五日
   ◎由緒
    当社の、御祭神は於呂神社大国主命、津島神社須佐之男命、御鍬神社磯部大神、山神社大山祗命、四社の神様が鎮座し合祀されている。平安時代後醍醐天皇の勅により、延長5年(927)撰進せる延喜式内の、遠江國長下郡四座の内、登勒(とろく)神社と代々申伝えあり。創立は不祥なれど千有余年の歴史があり、四辺の崇敬を集めていた。明暦元年(1655)霜月(しもつき)再建の棟札を有し今日に伝える。

 (注)於呂神社  「静岡県浜名郡誌」 P139〜40
    赤佐村於呂小字丸山にありて、「天津日高日穂々出見之命」を祭る。当社の創立年代・由緒等未詳。されど、従前は郡社と唱えし由にて、領主地頭の尊崇篤く、数町の神田を寄せられ、徳川幕府の頃は、営繕及び再建の費額等は、郡中へ勧化(かんげ)(勧進)するを許されたり。旧社領朱印文面に「遠江国豊田郡於呂明神領云々」とありて、社号の上に村名を冠せず。明治6年(1873)3月中、郷社に列せられたり。本社は同村内高根神社・麁玉村長谷神社・笠井町若倭神社と共に式内麁玉四社の一なりといふ。
 (注)於呂神社 「遠江國風土記伝」P379
    式の麁玉郡に載す。今豊田郡赤佐郷柴本村御馬箇池にあり。於呂明神・走湯権現二社なり、朱符の神田の高11石7升、祭日6月15日、9月9日。

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