(注)八幡宮の祭神について ◎玉依姫命(玉依比売命・玉依姫尊・玉依毘売命) 神武天皇の母。海神の娘で豊玉毘売命の妹。玉依は霊依(たまより)で「タマ」は神霊、「ヨリ」は人間に憑(つ)くことであり、神霊が憑依(ひょうい)する女。即ち巫女(みこ)をいったものである。 ◆憑依…霊などがのりうつること。 ◎品陀和気尊(応神天皇・大鞆和気尊・誉多別尊・品太天皇) 5世紀前後頃の15代天皇。14代仲哀天皇の第四皇子。母は神功皇后。応神という諡の出典は不明。124代の天皇の中で「神の字」のつく天皇は、第1代神武・10代崇神・15代応神以外にない。崇神は「ハツクニシラススメラミコト」と書かれており、はじめて國を建てた天皇としている。神の字のつく神はこのほかに神功皇后がある。神功・応神の母子は母子信仰の現れとみられるが、多くの史家がが、応神天皇期をもって、日本の国家の確率期としていると云っても過言ではない。応神天皇は後に八幡信仰と結びついていく。全国の八幡神社は、応神天皇・玉依姫命・神功皇后の三神を祀っている所が殆どである。 P80〜81 ◎息長足姫命(神功皇后) 4世紀後半頃の伝説的人物。仲哀天皇の皇后。記紀によると熊襲(くまそ)征討の途中、神の怒りにふれ晋だ仲哀天皇の後をうけて、のちの応神天皇を懐妊したまゝ新羅に遠征しこれを征服(三韓征討)、帰国後応神天皇を生み、そのそくいまでの69年間摂政として武内宿禰(タケノウチノスクネ)と鞆に政治を行った。という。 ◆武内宿禰 記紀の伝承にあらわれた大和政権の大臣。巨瀬(こせ)・平群(へぐり)葛城(かつらぎ)・蘇我の4氏の祖とされる。景行から仁徳に至る五代の天皇に大臣(おおおみ)として仕え、神功皇后にしたがって三韓征討に従事したという。伝説では300歳を超える長寿者。 ◎伊弉諾尊(伊邪那岐命)(イザナギノミコト) 古くはイザナキノミコト。日本神話で「天つ神」の命を受け、伊弉冉尊と共に、わが国土の山川草木の神を生み司った男神。天照大神・素戔嗚尊の父神。伊邪那岐神社及び多賀大社に祀られる。 ◎伊弉冉尊(伊邪那美命)(イザナミノミコト) 日本神話で、伊弉諾尊の妻。伊弉諾尊とともに国土・山川草木の諸神を生んだ。火の神(火之迦具土神)を生んだため、陰部を焼かれ火傷をして死に、夫の伊弉諾尊と別れて。黄泉国(ヨミノクニ)に住むようになる。黄泉の国で人間の死を司る「黄泉大神」(ヨモツオオカミ)として、また「道敷の大神」(チシキノオオカミ)として現れる。 |