(注)「浜松城公園のプラタナス」 昭和4年(1929)浜松駅から伝馬町交差点に通じる「御幸通り」(現在の鍛治町通り)に、街路樹として46本のプラタナスが植えられ市民に親しまれてきました。 昭和20年(1645)6月18日の「浜松大空襲」により、市街地の大半が焼土と化し、このプラタナスもすべて枯死したと思われましたが、奇跡的に3本のプラタナスが生き残ったのです。戦後、この3本の幹にこげ傷を残しながらも、強い生命力と人々の手厚い保護により樹勢はもどり、昭和39年(1946)6月には「戦火の中からよみがえり、市民とともに生きた木」として「市民の木」と命名されました。その3本のうち1本がこの浜松城公園に移植されたものです。また残る2本は、大塚町の「緑化推進センター」と「浜松駅北口広場」に大きく育っています。この木は浜松の激動の半世紀を超えて、共に歩んできたいわば「歴史の証人」であり、本市における緑化の原点でもあります。これからもたくましくそして着実に浜松発展のシンボルとして成長し続けるでしょう。 浜松市 |