(注)5, 本因坊秀甫(1838〜86)
 囲碁準名人。本名村瀬秀甫、幼名弥吉。14世本因坊秀和の門下。文久2年(1862)、秀和の跡目秀策が没し、再跡目になるはずであったが、丈和未亡人の干渉で果たさず、上手(7段)に進められたのみであった。1879年方円社創立に際し、首領と仰がれたが、家元側と対立して本因坊家から段位を剥奪された。翌年研究会たる方円社の組織を改めて免状を発行する新興棋院とし、みずから社長(初代)となった。84年
本因坊秀栄と和解。86年7月、秀栄から本因坊を譲られて18世本因坊秀甫となったが、10月に急逝。本因坊の名で対局した譜は土屋姓に戻った秀栄との一局しかない。
    「ブリタニカ国際大百科事典」 電子辞書