(注)3,秋葉権現
 本来の名称は「秋葉山三尺坊大権現」といい、秋葉山(海抜866m・旧周智郡春野町)に祀られる神である。縁起によれば、三尺坊は信濃国(長野県)の人。母が観音を念じて誕生したと伝えられる。6〜7才で出家し、やがて阿闍梨(あじゃり)になり、越後国(新潟県)12坊の一つの三尺坊の主となった。不動三昧の法を修し、7日満願の朝焼香の火炎の中に、鳥の如く両翼が生じ、左右の手に剣と索を持つ相を感得し、飛行神通自在となり、一匹の白狐にまたがり、飛行南下して秋葉山にとどまった。この遷座の時は、平城天皇(へいぜいてんのう=774〜824在位806〜9)の大同4年(809)とも永仁2年(1294)8月の中旬とも、また大同・永仁の2度にわたり出現したとも伝えられる。
 秋葉山三尺坊の信仰には、一に剣難、二に火難、三に水難の神といわれ、庶民には剣難・水難の信仰は少なく、もっぱら火難除け(火防の神=ひぶせのかみ)の信仰が深く根づいていた。明治の初めの神仏分離令により無檀無住となったため「秋葉山秋葉寺」は廃寺とし、三尺坊大権現など仏像仏具は可睡斎(曹洞宗・袋井市久能)に移し、秋葉総本殿がつくられ、秋葉山は「秋葉山本宮秋葉神社」となった。
 明治13年(1880)秋葉山秋葉寺は、地元の人々の強い願いにより、本尊を観世音菩薩とする寺として再建された。
 これら三社寺とも全国に多数の信者がおり、多くは秋葉講を組み、登山・登拝する者は四季を通じて多い。
    「日本の神様 読み解き事典」「静岡大百科事典」等