(注)4,鴨江寺 …「遠江國風土記伝」 P97
 戒壇塚、仁王門の西に有り、昔時は天台宗にて、戒壇を築き戒式を行ふ、故に比叡の山法師、軍兵を發し鴨江寺を責む、寺の法師も亦軍兵を集め鳴子坂の西の橋に屯し、山法師と相戦う、寺法師の軍敗責す、山法師等戒壇を破り埋む、故に「戒壇塚」と日ふ、軍兵屯す所の橋を「鎧橋」と云ひ、又斬られし骸(かばね)を埋めし所を「血塚」と云ふ、一に云ふ、埋めし所の骸千人なり、故に「千人塚」と云ふと、今鳥居縄手駅路の北の田中に松樹十株計有り、而して後真言宗と為る。