(注)13、立場・間の宿・茶屋 @立場 立場は、近世宿場町のはずれまたは「間の宿」(あいの宿)に設けられた茶屋。この語は、人足が杖を立て篭や荷を降ろして休息したことによる。参勤交代の大名や旅人が休息し、建造物は開放的なものとされたが、次第に娼婦的な婦女を置いて繁栄した。このため、江戸幕府は、延宝6年(1678)新規の茶屋を禁止するなどしたが、規則は守られず、正徳2年(1712)・享保8年(1723)・文化2年(1805)と禁令を出している。 「日本史広辞典」P1361 A間の宿(あいのしゅく) 間の村」ともいう。近世の宿駅間の村。旅人の休憩などの利便をはかったが、宿駅間の村が旅人を宿泊させ物資を輸送することは、本宿の衰退の原因になるとして禁止されていた。しかし実際にはこれらの行為が行われ、庶民の場合には、条件付だが特定の「間の宿」で宿泊が認められるようになる。ただし、参勤交代の大名には宿泊だけでなく休息も禁じられた。 「日本史広辞典」P16 B茶屋 16世紀に出現した通行人に湯茶を売る休憩所を起源とし、以後多様に分化発展した飲食・貸席業の総称。飲食系は掛茶屋・水茶屋から料理茶屋へ発展、貸席系は待合茶屋・出会茶屋・泊り茶屋などが現れた。特殊な形態には、遊郭内の編笠茶屋・引手茶屋、さらに芝居茶屋・墓茶屋などがある。 明治期以後、欧米の同種営業形態の影響を受け、コーヒー店・食堂などへ変貌。なお、「茶屋遊び」というときには、関西の遊郭で中以下の妓除と遊ぶ「天神茶屋」や私娼街の「色茶屋」をさす。 「日本史広辞典」P1404 |