(注)12,大沢基寿(生没年不詳) 明治維新期の旗本。堀江県知事。采女正。右京大夫。侍従のち基輔。大沢家は高家に列し、1550余石のち3556石、庄内地区八か村(浜松市)を領していた。1860年(万延元年)高家見習いとなり切米500俵、1862年(文久2)家督を継ぐ。明治維新の時、新政府に服し計画中の浜名湖干拓予定地を合わせ、1万6石と上申し藩屏に列せらる。1868年(明治元年)領地のうち4,844石が上地され美濃國多芸郡に所替えが決定されたが実現せず、1869年堀江藩知事、1871年堀江県知事となるが、架空申告のため士族におとされ禁固1年に処せられた(万石事件) 「静岡大百科事典」 P114 ★上知(上地)…土地をお上に返納すること。 |