(注)長田忠致(生没年不詳)
平安末期の武将。尾張国知多郡野間内海荘の在地領主。出自については平行政の子とも、また孫ともいわれ一定しない。源義朝の従者鎌田正清の舅にあたる。平治の乱後、その縁を頼り敗走してきた義朝・正清主従を謀殺。義朝の嫡子頼朝が挙兵すると、その軍門に降り平氏討伐に加担したが、義朝謀殺の科は許されることなく、文治元年(1185)義朝の墓前で処刑されたと伝えられるが、定かではない。