(注)正林寺と塩買坂
  今川氏親公、駿・遠・三の太守となり、先考(せんこう)(亡父)義忠公追善のため、戦   死の地塩買坂に昌桂寺を開き、後に正林と転唱して今日に至った。境内には義忠公と  家臣の墓がある。塩買坂は落葉に埋もれたまま一部現存し、往時がしのばれる。氏  親が父、義忠の死後40年後の永正14年(1517)ゆかりの地。塩買坂にその菩提を  弔うため一寺を建立したのが正林寺である。開創当時はの寺号は、義忠の法号「長保 寺殿桂山昌公大禅定門」から「昌桂寺」といったが、後に「昌林寺」となり「正林寺」とな った。
  江戸時代の塩買坂の旧道は、正林寺の門前の灯籠より坂を50mほど西にくだったあ たりから南にのびている道で、今も土地の人たちが農作業の時に通り、生活道路として 活用している。