(注)今川範国(?―1384) 南北朝期の武将。駿河・遠江両国守護。室町中期〜戦国期の東海地方に君臨した今川氏の基礎を築いた。室町幕府草創期に足利尊氏(1305−58)に従い、建武三年・延元元年(1336)までに遠江国守護職、ついで駿河国守護職をえた。駿河国守護職は戦国期に至るまで今川氏に継承された。 「観応(かんおう)の擾乱(じょうらん)」(1350−52)(足利尊氏・真義両派間の全国的内乱)の後1567年(貞治6・正平22)まで引付頭人(ひきつけとうにん)として幕政に参加。和歌・故実に通じ、子の貞世(了俊)に継承された。 (注)今川了俊(1325?〜1420) 室町時代の前期の武将・歌人。父は駿河・遠江の守護範国。名は貞世。源金吾と称する。佐亮・伊予守。足利義詮(よしあきら)に仕え、侍所所司を経て、建徳4年(1371)九州探題となり九州に下る。菊池氏・島津氏の討伐にあたり在位25年間で、九州一円を幕府勢力下におくことに成功した。しかし、彼の功をねたんだ大内義弘(1356〜99)らの工作により失脚。応永2年(1395)駿河守護に移され、同7年には足利氏満(1359〜98)との結託を疑われ、義満に追討されたが許され、引退後は文筆に専念した。 和歌を冷泉為秀に連歌を二条良基に学び、「言塵集」「弁要抄」「落書露見」を著す。弟の仲秋に与えた訓戒は「今川状」として有名。ほかに「難太平記」(がある。 ※今川状…23ヶ条。手習塾の教科書の一つとして盛んに使用された。 ※女今川…今川状に擬し、女の訓戒となることを観じ交じり仮名文で記した往来物。1700年(元禄13)刊。沢田きち著。女史の習字用として盛んに用いられた。 |