(注)黒印と朱印
 @黒印(こくいん)
   墨を用いて押した印。主に室町〜江戸時代、領主が公文書に用いたほか、百姓・町  人も広く使用した。
 ◆黒印状
  黒印を押して発給した武家文書。江戸時代、大名旗本などが墨を用いた印判を押して 発行した。17世紀後半頃から朱印状は将軍のみに限られ、黒印状は諸大名が用いた。
 ◆黒印地
  黒印状により寄進・安堵を受けた寺社領をいう。
 A朱印
  室町〜江戸時代に、武将が公文書に用いた朱肉の印。百姓・町人は使用が許されな かった。
 ◆朱印状
  朱印を押して発給された戦国期および江戸時代の武家文書。印判状の一種。
 使用例は戦国期の東国大名に多い。朱印は花押(かおう)(書判)より薄礼であったため 民政文書に使用されたが、織田信長は重要文書にも朱印状を用いた。江戸時代には  機能的差異が生じ、将軍家は1万石未満の所領安堵・寺社領寄進などに朱印状を用い 、これらの土地を「朱印地」と呼んだ。書状や軽微な事項には主として黒印状を使用した 。
 ◆朱印船
   御朱印船とも。徳川将軍家が発行した朱印状(海外渡航許可書)を携帯し、貿易に 従事した船。朱印状は琉球貿易船にも下付されたが、この制度を完備したのは徳川家 康(1546〜1616)。朱印船の企業主は、初期は加藤・島津・松浦・鍋島など西国大  名で後期は角倉了以、末吉孫左衛門、末次平蔵・茶屋四郎次郎などの豪商であった。 渡航地は台湾・交趾(コーチ)・カンボジャ。シャム・呂宋など広範囲にわたり、銀・銅・鉄・ 樟脳・刀剣・陶磁などを輸出し、生糸・絹織物・鉛・スズなどを輸入した。1601年に始ま り1635年鎖国で禁止されるまで約360隻が渡航した。