(注)※大須賀康高(1528−89) 「戦国人名事典」 P176 五郎左衛門尉。徳川家康の家臣。天正元年(1573)武田方遠江天神城のおさえとして、遠江馬伏塚を守備。同十年、遠江横須賀城主となり武田勢と戦った。同十二年、長久手の戦いの先鋒として三好秀次を追い詰めるが、堀秀政(1553−90)の反撃に敗れた。同十三年には信濃上田城に真田氏を攻めた。このとき味方の苦戦を聞いて井伊直政(1561−1602)と救援に赴いた。同十七年六月二十三日死去。 (注)堀秀政(1553−90)…「戦国人名事典」P701−2 豊臣秀吉の家臣。越前一向一揆・紀伊雑賀一揆を平定。織田信長から近江坂田郡のうち二万五千石を与えられ、長浜城主となった。山崎の戦いに戦功があり羽柴姓を賜る。天正12年小牧・長久手の戦いで家康と戦い榊原康政・大須賀康高軍を破る。九州征伐に従軍、小田原征伐従軍中陣中で病死、38才。 |