(注)大田摂津守資次(在城期間1671〜78)
幼少から家光に仕え、寛文11年(1671)浜松城主を継ぐ。寺社奉行・大阪城代を勤め、五社神社・鳳来寺の修復にも当たる。室ははじめ本多伊勢守忠利の女だったが、先立たれ対馬守義成の女を後妻としたが再び失い、能勢摂津守頼次の養女を3度目の室とした。貞享元年(1684)56歳で大阪で死去。
※太田備中守資宗・太田摂津守資次の二代が寺社に精通していたことから、浜松市内には二代の息のかかった寺社が多い。