(注)7、祐念寺と源太山
 @祐念寺趾(ゆうねんじあと) 「新居町 史蹟めぐり」 P35
 元和元年(1615)霊林山祐念寺は、大元屋敷西町の裏通りに建てられ、のちに今切関所番頭佐橋甚兵衛が開基檀那となった。宝永の災害後は源太山西麓へ移ったが、明治24年(1891)10月18日濃尾地震で埋没し廃寺となった。
 A源太山(げんだやま)    「新居町 史蹟めぐり」 P28
 源頼朝が鎌倉に兵をあげ、建久元年(1190)はじめて上洛する時、10月18日橋本に到着、56番警護隊長梶原源太景季(かじわらかげすえ=1162〜1200)は警護のため、金山(源太山の旧名)へ登って、大松の上で物見をして警戒に当たったので、この山を里人は、「源太山」と呼び松を「物見の松」と呼んだ。松は明治45年(1912)枯死していまはない。現在の幼稚園付近。